京鹿子娘道成寺 −酒井嘉七

 筆者が、最近、入手した古書に、「娘道成寺殺人事件」なるものがある。
 記された事件の内容は、絢爛たる歌舞伎の舞台に、「京鹿子娘道成寺」の所作事を演じつつある名代役者が、蛇体に変じるため、造りものの鐘にはいったまま、無人の内部で、何者かのために殺害され、第一人称にて記された人物が、情況、及び物的証拠によって、犯人を推理する−というのである。

 記述の方法は、うら若き、長唄の稽古人なる娘の叙述せる形式を用いているが、その口述的な説話体は、簡明な近代文章に慣らされた自分達には、あまりにも冗長に過ぎる感じを抱かしめる。

 書の体裁は、五六十枚の美濃紙を半折し、右端を唄本ように、綴り合せたもので、表紙から内容に至るまで、全部、毛筆にて手記されている。
 表紙の中央には、清元の唄本でもあるかのように、太筆で「娘道成寺殺人事件」と記されてあり、左下隅には、作者、口述者、又は、筆記者の姓名でもあろうか、「嵯峨かづ女」なる文字が、遠慮がちに、小さく記されている。
 書の全体は、甚だしく、変色し、処々は紙魚にさえ食まれている。従って、相当の年代を経たものと観察される。が、この一点に留意して、仔細に点検するとき、その古代味に、一抹の不自然さが漂う。−かくの如き疑問及び古典的ともいうべき取材にも拘らず、記述方法に、幾分の近代的感覚が察知しられること−その上、故意になされたと推定し得るほどにも、明白な時代錯誤場所錯誤、及びある程度の矛盾が、敢てなされていること、等を合せ考えるとき、この書物それ自体が、ある意味で、探偵小説味を有しているのではあるまいか、とも感じられる。−即ち、大正、または、昭和年間の、好事家探偵小説作家が、彼のものせる作品の発表にあたり、かくの如き古書の形態を装い、同好者の何人かに入手されんことを、密かに、望んでいた…と。

 筆者は、右の事情を前書きすることに依って、この「娘道成寺殺人事件」の紹介を終り、姓名不詳の作者が希望していたであろう通りに、その全文を探偵小説愛好者諸氏の御批判に捧げる。

 わたくしが、あの興行を、河原崎座へ見物に参りましたのは、もとより、歌舞伎芝居が好きであり、
 瀬川 菊之丞
 芳沢 いろは
 風 雛助
 瀬川 吉次
 名見崎 東三郎
 岩井 半四郎
 と申しますように、ずらりと並んだ、江戸名代役者のお芝居を、のがしたくはなかったからに相違ございませんが、それにいたしましても、中幕狂言の京鹿子娘道成寺−あの地をなさいました、お師匠の三味線を、舞台にお聞きしたいからでもございました。何分にも、あの興行は序幕が「今様四季三番叟」通称「さらし三重」というもので、岩井半四郎《やまとや》が二の宮の役で勤めますのと、一番目には、いせみやげ川崎踊拍子《かわさきおんど》、ニ番目狂言には、「恋桜反魂香」−つまり、お七が、吉三の絵姿を※[#“火”偏に“主”]《た》くと、煙の中に吉三が姿を現わして、所作になる−という、あの「傾城浅間嶽」を翻あんしたもの−そして、つづく大切が「京鹿子娘道成寺」で、役割は、白拍子に岩井半四郎、ワキ僧が尾上梅三郎に、瀬川吉次、長唄は松島三郎治、坂田兵一郎、三味線は、お師匠の杵屋新次さまに、お弟子の新三郎、その他の方々、お囃子連中は藤島社中の方々−と、こういったあんばいで、どの幕も、凝りにこった出し物−どれに優劣をつけると申す訳にも参らないほどでございました。が、なんと申しましても人気の焦点は、大切の娘道成寺でございました。それと申しますのも、この所作をお踊りになる、岩井半四郎が、自他ともにゆるした、日本一の踊り手というのでございますから、この土地の、お芝居ずきの方々には、それこそ、どうにでもして、出かけねはならないお芝居でございました。
 私のお師匠は、この岩井半四郎一座の座つき長唄の、たて三味線を弾いていらっした方でございまして、芸名を杵屋新次と申されました。前ころは、お芝居のほかには、上方のお稽古だけをしていらっしたのでございますが、いつの頃からか、月に十日のお稽古を、こちらでもなされていたのでございます。何分にも、巽検番の指定なさったお師匠でございますので、お稽古人は、ほとんど全部、芸者衆でございました。その中で、わたし一人が、素人の娘でございましたのでお師匠さんの目にも、つい注意されていたのでございましょう。私にはお稽古の合間などに、よく、お芝居の話、それも、座付きになっていらっしゃる、岩井半四郎一座の話をよく、お聞かせ下さったのでございました。そうした、お芝居の話の出た、ある時でございましたが、お師匠が、
「私は、いつも、半四郎師匠の立三味線を弾いてはいますものの、どうも、ああした人がらのお方とは、気が合わないので困ります」
 という様なことを申されたのでございました。私が、不審に存じまして、
「あんな人柄とは、どうしたお方でございます」
 と、おたずねいたしますと、
「芸に関する限りでは、私は心から敬服はしておりますものの、とても傲慢な、そして、無慈悲な、人格のないお方でございますよ」
 と、こんなことを申されたのでございました。そして、弟子が、舞台でしくじったと云っては、さながら、お芝居を地で行く様な、せめ折檻は常のこと、飼い猫が自分の衣裳を踏んだといっては、しっぽを手に取って、振りまわし、はては見ている者が、思わず、目をおおう様な行いが度々あること、さては、一度も、初日の幕あき前に−これは、ある田舎を廻っていらっした時のことだそうでございますが、裏庭を通って、あげ幕への道すがら、小屋の庭に、はなし飼いにしてございました小猿が、自分の顔を見て、きゃっと、飛びのき白い歯をむき出したとかで、庭さきに置かれてある駒下駄を取りあげると、はっし、とばかり、その小猿の頭に投げつけ可愛そうにも、殺してしまったという様な話さえあるのでございました。お師匠は、この話の後に、言葉をおつぎになりまして、
「あの小猿は、ほんに、可愛そうでございました。親猿が、その有様を見ておりまして、さも悲しげな声で、なきさけび半四郎師匠を、きっと、にらみつけた、あの凄い目に、傍にいた私どもは、思わず、震い上ったほどでございました。その芝居小屋は、その後、はやらなくなりまして、なくなりました。あの猿がうらんでいるのかも知れませぬが、座主も、座主でございます。ああした小屋も、もとより水商売、そうしますれば、お茶屋や、料理やで、お猿は、去る[#「去る」に傍点]に通じると云いまして、げんを祝い、お稽古ごとにも『外記猿』とか『うつぼ猿』さては、俗に『猿舞』と申します『三升猿曲舞《しかくばしらさるのくせまい》』というように、猿のついたものは、習わないほどでございますのに、あの小屋の座主はまた、何と考えて、ああしたお猿を、小屋の庭先きに飼っていらっしたのか、と今でも不審に思うのでございます」
 と、こんなこと申されたことがございました。私は、このようなとき、
「そうしたお方の三味線をお弾きになるのはいやなことでございましょう。しかし、それにいたしましても、心の中で、お師匠さんが、そんなに思っていらっしゃいますのに、どうして、踊りと三味線があのように、よく合うので御座いましょう。どちらかで、気が合わない、と思っていれば、自然と、ああした場合にも、それが現われ、うまく、調子が合わないのでございますまいか」
 と、私が、こんなに、申しますと、師匠は頭をお振りになりまして、
「いや、そんなことはございません。私は人間としてのあの人には、嫌悪を感じるのみでございますが、踊り手としての半四郎には、心の奥から頭を下げております。私の弾く三味線は、あの人の人柄とは、何の関係もございません。岩井半四郎という、日本一の踊り手のために、心から弾くのでございますから、呼吸が合うのでございます。あの人に、あの芸がございませんでしたら、私はああした人は、人類の名誉のためにでも、あの親猿の前で、殺しているでございましょう」
 師匠は、こんなことを申されまして、お笑いになったことでございました。

 大切、娘道成寺の幕は、時間通りに開いたのでございます。舞台は申すまでもなく、所作事にはお定まりのこしらえ−檜の舞台に、書割りは、見渡すかぎりの花の山、うっとりと花に曇った中空に、ゆったりと浮び上るように、連らなっている山の蜂−二重、三重。舞台下手には、大きな桜の木、これの花にもなぞらえてあるのでございましょうか、舞台正面の天井からは技垂れ桜の、花のすだれが、舞台上手から下手まで、ずっと春めかしく、舞台をはなやかに浮きたたせているのでございます。このたれ下った花すだれに、上三分はさえぎられて見えないのでございますが、あの、鐘にうらみがと唄いまする、張子の鐘がつり下げられているのでございます。間口十五間の、この大舞台で見ますときは、さほど大きくも感じませぬが、大の男、三、四人は立ったままで、すっぽりと、かむさるほどはございましょう。この鐘の竜頭に、紅白だんだらの網が付けてございまして、その端は、しっとりと、舞台に垂れ下り、さきほども申しました、桜の木の幹に結いつけてあるのでございます。

 この舞台の正面−桜の山の書割りを背にいたしまして、もえ立ったような、紅い毛氈を敷きつめた、雛段がございます。この上に、長唄、三味線、そして、お囃子連中−と居ならんでいらっしゃるのでございます。つまり、中央の向って右に、三味線の杵屋新次師匠、左側に、たて唄の松島三郎治師匠。その右と左には、各々、新三郎さま、松島治郎二さま、と申しますように、お弟子さま方が、ずらりといならんでいらっしゃるのでございます。下の段には、今も申しました、お囃子の御連中、ふえ、小つづみ、大つづみ、太鼓というように、何れも、羽二重の黒紋付、それに、桜の花びらを散りばめた、目ざむるばかしの上下をつけて、唄のお方は、唄本を前に、三味線の師匠連中は、手に三味線と撥をもち、もう、すっかり用意されているのでございます。
 私は、こうした、桜づくめの、絢爛たる舞台を前に、ただもう、呆然といたしていたのでございます。舞台の上には張子の鐘が、思いなしか、不気味に覗いております。舞台の上手と下手には、大坊主、小坊主連中が、お行儀よく並んでいらっしゃいました。

 場内は、水をうったように静まりかえり、時々、静寂の中を、ご見物衆の、せきばらいの一つ二つが、さながら、森の中でいたしますように、凄いまでの反響を、私たちの耳にこだまするのでごぎいます。やがて、たて三味線のかけ声がかかりました。観衆の、じっとこらしている息の中を、長唄が、
 「鐘に恨みは数々ござる、初夜の鐘を撞く時は、諸行無常と響くなリ…。
 と、重々しく、初まったのでございました。と、私といたしましたことが、この時に、初めて、気づいたので御座いますが、立三味線は、私のお師匠ではございません−杵屋新次さまでは御座いません。一のお弟子さまの杵屋新三郎さまなのでございます。私は、あまりの意外さに、あっと驚き、
「師匠が、どうして、三味線をお弾きにならないのでございましょう」と、独白したほどでございました。が、私は、この時に、ふと師匠に癪の持病が、おありになることを思い出し、これは、また、きっと、癪を起されたのであろう、それも悪い時に、と…、こんなことを考えたのでございます。しかし、破れるような、大向うの懸声のうちに現れて参りました、金の烏帽子の白拍子に、思わず、私の目は引きつけられ、そのまま、お師匠さまのことは、忘れるともなく、お忘れ申していためでございました。
 「鐘にうらみは数々ござる…。
 この唄とともに、中啓の舞が初まるのでございますが、さすがに、名優の至芸と申すのでございましょうか、鐘にうらみの妄執が、浸みでているようでございます。お客さまがたはただ、もう、うっとりと、舞台の上を、物のけにつかれた様に見まもっていらっしやるばかしでございます。たて三味線は、さきほども申しましたように、私のお師匠ではございませんが、さすがに、一のお弟子さんの新三郎さま、すっかり師匠そのままの、立派な撥さばき、たて唄の三郎治さまもすっかり、ご満足されて、お唄いになっていらっしやる様子でございました。
 唄の文句が、
 「言わず語らぬ我が心、乱れし髪の乱るるも、つれないはただ移り気な、どうでも、男は悪性者…。
 と進んで参りますと、踊りの気分はすっかりと変って参りまして、さすがに、自他ともに許した踊りの名手でございましょう。さす手、引く手、そうした、手踊りの初々しさ、−たしか、岩井半四郎は六十四歳でござりましたが−それほどの年寄った踊り手とは見えないほどな手足、そうして、躯の微妙な振り、きまりきまりの、初初しいあでやかさ、どう見ましてもまだ春に目覚めぬ娘としか考えられぬほどで御座いまして、師匠から人間的な価値のないお方と、承り、憎しみも、蔑みもいたしているお方でございますものの、ただ、うっとりと、その神技とも申してよいほどな芸の力に心うたれていたものでございます。

 この、娘道成寺と申す所作事は、宝暦年問に、江戸の中村座で、中村富十郎が演じたものだそうでございまして、富十郎一代を通じての、一番の当り芸であった、と申します。何しろ、三十三年の間に十一度も勤めたそうでございまして、その度ごとに、大入りをとったとか申します。所作の筋は、あの安珍清姫の伝説を脚色したものでございまして、ものの本には、次のようなことが記してございます。

×

 これは名高い安珍清姫の伝説が脚色されたものである。延長六年八月の頃、奥州に住む、安珍という年若い美僧が熊野詣でに出足した。その途中、牟婁《むろ》郡で、まさごの庄司清次という男の家に、一夜の宿をもとめた。ところが、その家の娘に、清姫という女があって、安珍に懸想した。…胸の内を、うちあけられた、この若い美僧は、帰途には、再び、立ちよる、その節まで…と約して、熊野詣での旅をつづけた。

 安珍は、宮詣でを終えて、帰途についた。しかし、彼を思い焦れている清姫のもとへは立ちよらなかった。女は、これを知って、男を怨みに恨んだ。女の一念は、自分の姿を大蛇に化した。そして、無情の男を追った。安珍は逃げ場に窮して、日高郡にある道成寺にのがれ、救いをもとめた。寺僧は彼の請いをいれた。ただちに、僧を衆《あつ》めて、大鐘を下し、その内に、安珍を納した。

 やがて、清姫の怨みの権化−大蛇の姿が現れた。大蛇は、鐘を静かに蟠囲した。尾を挙げては、鐘を敲いた。その度に火炎が物凄く散った。時が経った。大蛇は去った。生きた心地もなく、物蔭から、様子をうかがっていた僧たちは、ほっと、大きな息をつくと急いで、鐘を起した。ところが、安珍の姿はおろか、骨さえなく、ただ灰塵を見るのみであった。

×

 この安珍清姫の伝説が、いわゆる「道成寺」の謡曲に綴られたのだそうでございますが、その「道成寺」がまた、いまお話いたしております所作事「京鹿子娘道成寺」といったものに、脚色されたのでございまして、この所作ごとの舞台に見るだけの筋は、こんなでございます−。

×

 道成寺で、再度の鐘建立が行われ、その供養を、白拍子の花子という者が拝みに来る。これは、実のところ、清姫であって、寺僧は、女人禁制を理由として、拒む。しかし、白拍子は、たって、と願う。寺僧も、いまは、止むかたなく、女の請《ねが》いをいれ、その代償として、舞を所望する。白拍子は、舞いながら、鐘に近づいて、中に消える。−一同は驚いて、鐘を上げる。と中から蛇体の鬼女が現われる。

 と、このような筋を意味する所作が、檜の舞台につづけられて行ったのでございます。私は、手鞠の振りから、花笠−それから、手習い、鈴、太鼓…、と、呼吸もつがせぬ名人芸に、ただ、うっとりと、舞台を見つめるのみでございましたが、ふと、気づきますと、師匠の新次さまが、上手そで[#「そで」に傍点]のかげに立って、じっと、舞台を−そして、ご自分の替りに、立三味線を弾いていらっしゃる新三郎さんの手もとをじっと、見つめていられるのでございます。一目みてご病気らしく、すっかり、お顔の色も青ざめ、立っていることさえ大儀そうな師匠の姿に、私は自分ながらに、「やはり、わたしの考えた通り、癪を起していられたそうな…」
 と、考えたのではございました。が、それにいたしましても、やはり舞台が気にかかり、ああした見てさえも、お苦しそうなお身体で、自分の弟子の様子を見守っていらっしゃるのは、さすがに、芸で一家をなされるほどの方−と私は、こんなに考え、ひそかに、涙いたしたことでございました。

 やがて、踊りもすすみまして、俗に申す、鐘入りになったのでございます。たて唄、松島三郎治さまの唄は、ますます冴えて参ります。
 「恨み恨みてかこち泣き
 の唄の文句−白拍子はじっと、鐘を見上げております。私は、あまり、こうした所作事については存じませぬが、この恨み恨みては、男の気が知れないのを恨むのではなく、釣るしてある鐘に、恨みのある心を通わせたものとして振りが付けてあるのだそうでございます。しかしそれにいたしましても、白拍子に扮装なさっている半四郎のあまりにも、異常な、そして、狂気じみた、その目なざしにその時、ふと、変な気もちになりましたのは、私のみでございましょうか!

※[#“さんずい”に“匕”に“木”]

 踊りも、いよいよすすみまして、
 「思えば思えば恨めしやとて
 と、蛇心をあらわすくだりになって参ったので御座います。そして、
 「竜頭に手を掛け飛ぶよと見えしが、引きかづいてぞ失せにける
 と、この文句で、白拍子の岩井半四郎さまは、鐘の中へお入りになったのでございます。

 舞台の中央には、鐘がふさっており、主演者のない舞台はお坊主さんたちにまかれております−つまり、祈りの段でございます。正面の山台にい並んだ長唄のご連中は、淋しい舞台を、唄で補う為でございましょう、一としお、声たからかに、
 「謡うも舞うも法《のり》の声
 と三味線につれて、唄っていらっしやいます。そうした間に、鐘の中では、変化の拵えが行われているのでございまして、舞台のお坊主連中と、入れかわりに、花四天が大勢出てまいります。それからが、鐘を引き上げるくだんでございます。私たちは、じっと、息をこらして、鐘の上るのをまっていたのでございます。
 観客のどよめきと共に、鐘は上ったのでございます。中には、もう、変化になり終わられた岩井半四郎が、被衣《かつぎ》を冠って、俯せになっております。これに、花四天がからみまして押戻しが出、そして、引っぱりの見得となって、幕になるのでございます。ところが、唄が進みましても、変化にかわった白拍子が起き上らないのでございます。この瞬間、誰もがほとんど同時に、ある不気味な予感を感じたのでございましょう。あっと思わず、前かがみになりました時、舞台の横から、
「幕だ…」
 と、鋭い声が聞えたのでございました。

 名優、岩井半四郎の死因には、とても六つかしい、専門的な名が付せられておりましたものの、結局、前額部に受けた外傷と、その結果としての急激な精神的衝撃のために、ご年輩のためでもございましょうが、つね日ごろから、ご丈夫でなかった心臓に、致命的な変化が起きたのでございました。−と、こう申しますれば、それでは、あの、誰一人と人間のいない、造りものの、鐘の中で、そうした原因を作る誰人《だれ》がいたのであろうか−加害者は誰であろう−と、声をおひそめになるでございましょう。
「それが、さっばり、見当もつきませぬ」
 と、お答えいたしますと、
「それでは、変化の隈どりと、扮装の後見をしたのは誰であろう。その人達が、第一に嫌疑をうけねばならないのではあるまいか」
 −と、重ねて、お仰せになるでございましょう。しかし、あの扮装には、後見は一人もついていなかったのでございます。

 ご存じになりますように、娘道成寺の所作事で、白拍子の鐘入りになりますと、その役者は、蛇体に扮装いたしますためと、顔の隈をとりますために、すっぽん[#「すっぽん」に傍点]から、奈落へ抜けまして、半四郎のような名代役者でございますれば、四五人もの後見の手をかりて、隈どりをしたり、変化のこしらえをしたりするのでございます−つまり、舞台に伏せられた鐘の中で扮装をせずに、すっぽんから、舞台下に抜け、そこで総ての用意をすませて、時間がくれば、またもとの、鐘の中へせり上るのでございます。ところが、この半四郎という俳優は、鐘入りの場合に、決して、奈落へ抜けなかったのでございます。鐘が下りますと、舞台の上で、造りものの鐘に伏せられたまま、自分一人で蛇体の扮装をととのえ、隈どりももちろん、自分でなさっていたのでございます。…こうした話を聞きますと、誰しも、あのようなひとが、何故に、後見の手も借りずに、そうした不自由なことをなさるのであろうか−と、不審にお考えになるのでございます。それにはもちろん、何か、訳があったのに相違ございません。人々は折にふれては、自分勝手な憶測を逞しうしていたのでございます。その中にも、穿ち過ぎたものに、かようなのがございました。それは、半四郎とても、以前は、娘道成寺の鐘入りには、普通、誰でもがするように、すっぽんから奈落に抜けそこで、後見の手を借りて、蛇体の扮装をし、それから、また、舞台に伏さった鐘の中へ迫り上がるようになさっていた−しかし、何時かのこと、奈落へ下りる時、後見の不注意で、転落した−怒りに燃えた半四郎が、男を貴め折檻した。その男は、自分の過失とは云え、余りもの無体に、主人を呪うて、芝居がはねた、その夜、奈落の片隅に、縊れて死んだ−すっぽんから、奈落に降りる半四郎の目に、その男の怨めしげな、姿が見えるのだ−それがために、娘道成寺の出し物がある時には、決して、奈落へ降りないのだ−と、いうような噂でございました。これは、よくある奈落につきものの怪談と、半四郎とを結びつけたあまりにも、穿ちすぎた考えと思えるようで御座りまして、結局は、半四郎が、家に伝わる、蛇体の隈どりを誰にも見せたくなかった−見せないがために、後見さえも退け、舞台に伏った、造りものの、鐘の中を、密室のつもりで、自分の姿を誰にも見せず、後見の目さえも逃れて、隈をとっていた、と考えられるのでございます。−この隈と申しますのは、いうまでもなく、扮粧《つくり》をいたします際に、面を彩る種々の線に過ぎないのでございますが、色彩の点から申しても、紅隈、藍隈、墨隈というように色々ございますし、形から申しましても、筋隈、剥隈、火焔隈、一本隈、というように、化身、般若、愛染というような役柄に、ぴったりと合うのが、それぞれあるのでございます。しかし、大要のことは定まっておりますものの、役者自身に、各々と、独特な隈どりの方法や、技術がございまして、そうしたものは、刀鍛冶の湯加減、火加減と同じように、他の者には、絶対に秘密とされていたのでございます。そうした訳で、半四郎も、このひと独特ともいわれておりました、道成寺の変化の隈どりを、誰にも見せたくはない為に、その扮装の場合にも奈落に降りず、舞台に伏ったままの鐘の中で総ての扮装を、自分ただ一人でなさっていた、と考えられるのでございます。
 こうした訳で、あの造りものの鐘の内部には、扮装と隈どりに必要な化粧品や道具が、棚ようなところに、そなえつけてあり、鐘の頂上には空気ぬきもあけてはございましたものの、もちろん、人の出入りするほどの大きさもございませんので、そこから人が入ったとも考えられませぬ。もし、たとえ、どうにかして、舞台の上につり下げられた鐘の内部に、犯人が隠れており、半四郎に危害を加えたとしましても、どうして逃げ去ることが出来ましょう。−長唄の囃子、鳴物入りの、絢爛たる舞台の真中に伏せられた鐘の中の殺人。よし犯人が鐘の中に、ひそんでおったといたしましても、鐘から人の目にかからぬように、出る術もございますまい。−鐘がつりあげられる時、鐘の内部につかまっていた、といたしましても、それでは、舞台の上に引き上げられた鐘の中からどうして逃げ去ることが出来ましょう。
 このように申しますと、それでは、鐘の伏さっていた舞台に、奈落へ抜けるすっぽんがあったのではあるまいか。鐘が舞台に下りると、犯人は、そこから、鐘の内部にせり上り、再び、奈落へ逃げ去ったのではあるまいか。−と、仰せになるかも存じませぬ。しかし、今も申しましたように、半四郎が変化の扮装をなさるのは、鐘の中でございましたので、鐘をすっぽん[#「すっぽん」に傍点]の上に降ろす必要もなく、ずっと離れた、舞台の中央に近いところに、降ろされていたのでございます。従って、犯人が奈落から侵入したとも考えられないのでございます。
 いま申し述べました情況の一切は、一座の人達や、道具の方々によく、分っておりましたので、半四郎の身体が、楽屋に運ばれ、ほっと、一と息つくと、舞台に残った人々は、期せずして、鐘の中が怪しい−と、いうように感じたのでございましょう。じっと、舞台の天井に、つり上げられた、造りものの鐘を見上げていたのでございますが、やがては、大道具の一人が、静かに、舞台の上に降ろし、二三人の手で、内部の検証が初まったのでございます。これは、事件後、ものの五分と過ぎない時でございました。しかし、鐘の内部は、何の変ったこともなく、人の姿など、勿論、ございません。これは、鐘を下すまでもなく、舞台から見上げた時にも分っていたことでございます。人々は、鐘の内部にしつらえられた棚の上や、隈とりに使用した化粧品までも、たんねんに、手にとって、調べて見たのでございますが、何のこともございません。

 こうした事情でございましたので、事件を解決するには、現場に残された兇器つまり、半四郎が受けた、前額部の外傷に、直接の関係があると考えられる物体−に、総ての人の注意がむけられたのも当然のことでございましょう。この兇器こそ、ほかでもございませぬ、私の師匠、杵屋新次さまの象牙の撥−それも開幕前には、師匠が楽屋で、手にしていらっしたものなのでございます。これは、お弟子さまがたも申され、師匠ご自身も認めていらっしゃることでございますが、これが、鐘をつり上げました時、舞台にうつ伏った、半四郎の傍で発見されたのでございました。−こうした理由で、私の長唄のお師匠が、この殺人事件の第一の被疑者になられたのでございますが、客観的に考えて見ますれば、それは、あまりにも、当然なことでございましょう。
 師匠は、その筋の方に、次のように語っていられるのでございます。

 私が娘道成寺の際に折あしく、持病の癪を起し、出演いたしませんでしたこと、私の象牙の撥が、あの造りものの鐘の中にあったことを考えますれば、私が第一に嫌疑をうけるのは当然のことでございましょう。−しかし、私自身と、あの殺人事件との間に、どうした関係がございましょう。
 私が、あの撥を、三味線箱から取り出しましたのは、娘道成寺の開幕に二十分あまり前でございました。私は、自分の癖−または、たしなみといたしまして、三味線や撥は決して、弟子の手にまかしはいたしません。この日も、自分の手で取り出し、糸の工合を調べた上で、撥を手に取りあげたのでございました。その瞬間に、癪が起ったのでございました。私は、撥と三味線をそこに、なげすてるように置きまして、
「新三郎、来ておくれ」
 と、苦しい息の中から、となりの部屋におります私の一の弟子に、呼びかけたのでございます。−私の部屋には誰もいなかったのでございます。新三郎は、私の声に、すぐと、駆けつけてくれまして、
「師匠、それでは、医師を呼びますから、しばらく、ご辛抱下さい」
 と、かけて出たのでございます。それから、後のことは、ロにもつくせぬ痛みのために、何も記憶いたしてはおりません。いたみが去りました時には、もうすでに、娘道成寺の幕は上っておりまして、新三郎が、私の替りに、立て三味線を弾いていたのでございます。私ほ、こう聞きますと、医師のとめるのも、振りきりまして、楽屋を出、舞台の横に佇んで、じっと、新三郎の三味線を見まもっていたのでございます−もちろんのこと、どうか、無事につとめてくれます様にと、祈っていたのでございます。私の、こうした行動に、疑いがかかっているようで御座います。しかし、自分の持場を、弟子が勤めていますのに、どうして、それを気にかけずにいることが出来るで御座いましょう。芸を生命に生きている私が、ああした場合に、足もとも定まらぬながらにも、わざわざ舞台まで弟子の様子を見に行く−そうした事は、あまりにも、当然では御座いますまいか。

 しかし、その時に、私が撥をもって行かなかったか、とのお訊ねに対しては、
「いいえ」
 と申しますより、
「絶対に、持って参りません」
 と申し上げたいと存じます。三味線ひきの私にとって、三味線と撥とは、申すまでもなく、私の魂でございます。しかしお恥かしい話ではございますが、あの場合、私としたことが、すっかり、自分の魂を忘れていたのでございます−癪を起しまして、三味線と、手にした撥を、下においたなり、すっかり忘れていたのでございます。後ほどに、承りますれば、新三郎が、三味線と撥とを自分の部屋にもってかえり、床の間においていてくれたのだそうでございます。が、私は、もちろんのこと、そうした事情を知りませず、今も申しますように、三味線や撥のことは、少しも考えず、唯ただ、舞台で、私の変りに弾いている、新三郎の三味線が気になるままに、おとどめ下さる方々を、振り切るようにいたしまして、舞台上手の横まで出て参ったので御座いました。それから、あの事件が起りまして、幕が下りますまで、私は、じっと、一と処に佇んだままでございます。そうした私と、あの撥とに、どうした関係が御座いましょう。いま、一歩ゆずりまして、私があの時、自分の撥を手にしており、それで、半四郎師匠を傷つけたといたしますれば、あの撥を舞台の上手から投げつけている訳でございましょう。しかし、大入にも近い観客を前にして、どうして、その様なことが可能でございましょう。−また、どうとかした方法で、お客様がたの目を晦ますことが出来たといたしましても、投げつける時は、あの造りものの鐘が、半四郎師匠の白拍子に、かむさる瞬間にいたさねばなりますまい。そういたしますれば、私の投げた撥が、師匠にあたり、それが原因となって即死された−そして、その瞬間に、上から降りて来た、鐘が、白拍子の姿をかくしたといたしましても、死体は、白拍子の扮装のままでなくてはなりますまい。しかし、事実はそうでございませぬ。半四郎師匠は、変化の拵えを、おすましになったままで、俯伏さっていられたのでございます。そういたしますれば、少なくとも、こうしたことが云えるでございましょう、即ち、半四郎師匠は、鐘の中に姿がかくれ、白拍子から変化の拵えに扮装されるまでの間は、あの造りものの鐘の中で生きていられた…と。そういたしますれば、たとえ私が、あの場合に、自分の撥をもって、舞台の横に立っていたといたしましても、私に何が出来るでございましょう。鐘が白拍子の上に降り、半四郎師匠が、変化の拵えをされた頃を見はからって、私が撥を投げたのでございましょうか。そして、その撥が、張子の鐘に破れ目もこさえず、飛んで入り、半四郎師匠を打ったのでございましょうか。

拾壱

 師匠、杵屋新次さまの訊問は、これほどで終ったそうで御座いまして、次には師匠のかわりに、道成寺の立三味線をお弾きになりました、一のお弟子さま−杵屋新三郎さまが取調べをおうけになったのでございました。

×

「お師匠、杵屋新次さまの癪は、持病でございまして私でも、いま迄に、一度や二度のご介抱はいたしたことがございます。あの時には、師匠が申されていますように、最初、私をお呼びになったのでございました。私は、師匠の、ただならぬ呼び声に、気も転倒いたす思いで、お部屋にかけつけたのでございました。師匠は、三味線と撥を前に置いたまま、横腹をおさえて、とてもな、お苦しみで御座いました。私は、
『師匠、お医師をお呼びいたしますから…』
 と、かように、申しまして、部屋を飛んで出、折よく、廊下で出会いました番頭の方に、
『恐れ入りますが、どうか、お医師を、お呼び下さいませ』
 と、簡単に、申しまして、師匠の様子を付け加えたのでございました。番頭さんは、
『承知いたしました。あなたは、師匠のご介抱をなさって下さいまし』
 と、云いすてて、廊下を走って行かれたのでございました。その時分には、騒ぎを聞きつけた仲間弟子や、一座の方々も師匠の部屋へかけつけて下さったのでございました。しかし私は、そうした騒動の中にも、と、師匠の傍におかれている三味線と、撥に気を引かれたので御座います。もしも、誰かが躓くようなことでもあれば、大変だ、三味線引きの魂とも、命とも考えられる、三味や撥に、傷がつくようなことがあれば、私は、こう、考えたのでございます。それで、三味線と撥を両手に取って、私の部屋へ持ち運んだので御座います。…確かに、いつも、師匠が使っていらっしやる三味線と撥とに相違ございません。私の部屋の床の間に置くと、再び、師匠の部屋にとってかえしたので御座いました。

 娘道成寺の開幕時間は、さしせまっておりました。医師の手当によりまして、師匠の癪も、いいあんばいに納まったようでございました。しかし、そうと申しましても、あと数分の後にさしせまった、所作事の舞台に出られる筈もございません。そうした訳で、私が師匠の変りに、立三味線を弾かせて頂くことになったので御座いました。

 私が、自分の部屋を出ます時にも、師匠の三味線と撥は私が置いた通り、床の間に御座いました。しかし、この撥を、若し、誰かが、私の出た後で持ち去ったといたしますれば、それは、一座の方か、私たち、鳴物連中の中の誰かに相違ございますまい−それと申しますのも、私の部屋へ参ります迄には、幾つもの楽屋部屋の前を通りますので、見なれないお方でございますれば、すぐに、誰かが、胡散くさい人が通る−という風に注意し、後をもつけるでございましょうから。それに、あの、私の楽屋部屋は、外側が小屋の裏通りになってはおりますものの、窓が一つしか御座いませず、その窓には、人の頭もはいらないほどな棒頭がはまっておりますので、そうしたところから、外来の人が侵入しあの撥をもち去ったとも考えられないのでございます。しかし、いずれにもいたせ、新次師匠が申されておりますように誰かが、あの撥で、白拍子に扮した半四郎さまを、鐘の中で襲うた、といたしましても、その方法はどう説明されるのでございましょうか。師匠が指摘されておりますように、舞台に降りている、造りものの鐘を傷つけないで、その中へ、ああしにものを投げ込む−こうしたことが、どうして可能でございましょう。ご存じになります様に、鐘の頂上には、七八寸ほどな丸さの空気ぬきがございます。しかし、それにいたしましても、舞台の横から投げた撥が、どうして、あの穴からはいり、内部の人を傷つけることが出来るでございましょう。−たとえ、舞台の天井から、その空気ぬきの穴をねらって投げこんだといたしましても、それでは、どうして、被害者の前額部に傷がつくでございましょう。それに、投げられた撥が、小屋いっぱいに溢れた見物衆の、誰の目にもとまらないというようなことがございましょうか」

拾弐

 このお二方の次には、岩井半四郎の後見をお勤めになりました、一座の名見崎東三郎が、取調べをおうけになったのでございました。このひとの陳述は、次のようであったそうでございます。
 私は、もう、十数年間も、師匠、岩井半四郎の後見を勤めている男で御座います。私には、師匠を殺害せねばならぬ理由はございません。恐らく、師匠は、誰にも殺される理由はないと存じます。しかし、それと同様に、誰にでも殺される理由を持っていらっしゃる方で御座いました。こうした私の言葉は、変に聞えるかも存じません。しかし、あの人を人とも思わぬ、傲慢な、半四郎師匠に、芸を離れて、好感をもっていた人が、この世に幾人ございましょう。あの方に、あの芸がなかったなれば、あの不遜な態度だけでも、十分に殺意をさえ起させるほどで御座います。これは、私が、誇張して申し上げる言葉では御座いませぬ。
 こうしたことを申し上げるまでもなく、御存じでございましょうが、後見は踊られる方のために、総てを捧げなければならないのでございます。これと同様に、踊られる方にいたしましても、後見に同情なしに踊る訳にも行かないのでございます。−踊り手と、後見とが一つになりまして、影の形に添うようにしなけれはならないのでございます。半四郎師匠も、勿論、こうしたことは御存じでございますし、何分にも、名人として、自他ともに許されているほどのお方でございますから、気苦労いたしながらも、楽々と働けまして、大変に楽な後見ではございましたものの、ああした舞台でも、人を人と思わぬ傲慢さが、随時に現れまして、踊りの手を、自分勝手におかえになるほどのことは、常時でございまして時としては、今日の見物は気に食わぬ−というような、自我な理由で、勝手に所作を中途で切り上げ、道成寺でございますれば、白拍子の鐘入りもせずに、長唄、お囃子連中の呆気にとられた目なざしを尻目に、幕にされたようなことも、度々あったのでございます。
 半四郎師匠の踊りは、いつもと同じような調子で経過いたしました。ご機嫌も、いつもの通り、別に、よくも、悪くもございませんでした。しかし、私は、これを不思議に考えているので御座いますが、踊りが初まりまして、しばらくすると、師匠の様子が変って来たことでございました。何と申したらよいでございましょう−いわば、怨霊にでも取りつかれた人のような様子がございました。舞の合間あいまに、上を見たり、横を見たり、なさいまして、額には、たしかに、油汗がにじんでおりました。顔色もすっかり、蒼白になりまして、ともすれば、三味線と離ればなれにもなりそうで御座いました。しかし、さすがに、踊りにかけては名人と申すのでございましょうか、そうしたことも、巧みに、手振り、足ふみに紛らわされ、お気づきになった方は、一座の内、座方の中にも、幾人もございますまい。それに、三味線から、ともすれば、離れようといたしますのも、ある方々は、それを、立三味線を弾いていらっしゃる、新三郎さんの罪にし、一のお弟子さんといいながらも、やはり、師匠の新次さんでないと、岩井半四郎の糸は出来ない−なぞと、知ったか振りをなさる通人もあったようでございました。
 半四郎師匠の異様な興奮は、唄が進みますとともに、ますます烈しくなって参りまして、踊りの中で、こうしたことがあったのでございます。それは、鐘に恨み−の文句の終りに、
「真如の月を眺め明かさん
 と、いう歌詞がございますが、ここで、白拍子が冠っている金烏帽子を、手にもつ、中啓で跳ね上げるところがございます。ところが、この前後で、踊っていらっしゃる半四郎師匠が、
「綱に…綱に…」
 と、二たこと申されたのでございました。物の化につかれた人の譫言とも、気違いの独白とも感じられるような声でございました。しかし、後見の私にしてみますれば、これは、何か自分に云っていらっしゃることに違いない−と考えたのでございます。勿論のこと、そうであったのかも存じません。私は、また、いつもの、我意から踊りをいい加減に切り上げるか−または、踊りの一部を勝手にお変えになるについての私への注意に相違ないと考えたのでございます。半四郎師匠は、いまも申しましたように、
「網に、綱に…」
 と、申されながら、冠っていらっしゃる金烏帽子を、はね上げなさったのでございました。私は、つと、にじりよって、それを拾い上げたのでございますが、その瞬間に、思い出したことが御座いました。それは、落ちた烏帽子を後見が取りあげて、綱にかける型があるのでございます。これは、なんでも、ある名高い江戸役者が、この踊りを、おどっていらっしゃいました時に、烏帽子をはねた勢いかあまり強く、いきおいあまって、烏帽子が後にとぴ、綱にからまったのだそうで御座います。ところが、何がどうなるか、分らないもので御座いまして、これがまた大変な評判になり、それが、一つの異った型になったのだ、と申すのでございます。しかし、こうした偶然は、つねに舞台でくりかえすことは、勿論のこと、不可能でございますから、この型を踏襲されていた江戸役者の方々は後見にいい付けて後にはねた烏帽子をわざわざ網にかけさせていた、−というので御座いました。私は、こうした事を思い出し、師匠の、
「綱に、網に…」
 と、申されたのは、私にそうした事を命じていらっしゃるのだ−と考えまして、その通りにいたした事でございました。しかし、半四郎師匠は、何故か、明らかに興奮していらっした様子でございまして、そうしたことをいたしました私に対しても、毀誉を意味する何の表情も、お見うけすることが出来なかったのでございます。

拾参

「これだけでも、あの時の半四郎師匠が、常とは変っていたことがお分りになるでございましょう。しかし、変っていると申しますれば、歌詞の最初あたりの、
「言わず語らぬ我が心……
 と、このあたりで、初めて、清姫の正体がほのめかされるのでございますが、もう、この頃から、どうしたものか、いつもの岩井半四郎とは変り、何としても、そうした、いわば踊りの腹芸とでも申すべき、ところが少しも見えなかったので御座います。それから、三味線の調子が変り、唄も、ひとしお、渋くなってまいりまして、
「都育ちは蓮葉なものじゃえ
 と、歌は切れ、合の手でございまして、この三味線の間に、白拍子の花子が、上に着ている衣裳をぬぐのでございます−つまり、引抜くのでございますが、普通の踊りの時のように、踊りの手をやめたり、舞台の後方へ退いて、ひき抜くのではございません。三味線の合いの手[#「合いの手」に傍点]に合せて、手毬つくしぐさをしながら、脱ぐのでございます。−役者ひとりが、ぬぐのではなく、後見のたすけをかりるのでございます。それは、衣裳の袂、胴、裾、と申しますような部分をばらはらにいたしまして、引きぬくのでございますが、そうしたところを、綻ばしまするには、俗に、玉と申すものを引くのでございます。これは、縫ったまま、止めてない糸のことでございまして、たやすく、引くことの出来るように、糸の先きに小さい玉がついており、こうしたところから、玉という名称が生れたのでございましょう。−この玉を引き抜くと、見物衆のお目にかからぬ様に後見に渡すのが、踊られる方のお手際でございまして、後見の方から申しますれば、それを正しく受とるのが役目でございます。ところが、待ちうけている私には、お手渡しになりませず、それを、手に、しっかりと握ったままで、踊りを続けていらっしゃるのでございます。私は、はっと、驚き、思わず、師匠の顔を見上げたので御座いました。すると、目を血走らせ、何事かを、ロの中で、坤くようになさっております。私は、師匠がまた、お見物衆のことで、何か気に入らぬことでもあるのだろう−と考えながら、そっと耳をかたむけたので御座います。−唄と三味線、そして、鳴物に、ぴったりと合った、日本一の踊りを、おどりながら、半四郎師匠は、ロの中で呟くように云っていられます。
『畜生…畜生』
 −たしかに、二たこと、こう申されたので御座いました。そして、手に握った玉を、後見の私にお渡し下さることか、勢いよく、つと、舞台の天井に向って、投げられたことでございました。

 このようなことは、あの我儘な、半四郎師匠には、ありがちのことでございましたので、私も、その時には、何の気にもいたしませんでした。しかし、師匠が、ああした不可解な死をとられました今になっては、そうしたことが、何か関係していたのではあるまいか−とも思えるのでございます」

拾肆

 これで、一、二、三の被疑者、つまり−
 杵屋新次(私の長唄のお師匠で、何時も被害者岩井半四郎の立三味線を引いていられる方)
 杵屋新三郎(杵屋新次さまの一のお弟子で急病の新次師匠に替って道成寺の立三味線を弾かれた方)
 名見崎東三郎(被害者岩井半四郎の後見として、道成寺の舞台を勤めていられた方)
 −のお三人の陳述が終ったのでございました。そうした取調べをおうけになりましたのも、
(い)私の師匠、杵屋新次さまの場合では、師匠が開幕前まで持っていられた、象牙の撥が、殺人の現場に残されておりましたため−そして、開幕直前の急病が、疑問の目で見られたため−でございましょうし、
(ろ)杵屋新三郎さんは、師匠の撥をご自分のお部屋に運ばれたため−言葉をかえて申しますと、殺人に使用された兇器を、最後に手にしられた方であるため、
 そして、
(は)の名見崎東三郎さまは、岩井半四郎の後見として、被害者に、誰よりも一番近く位置していたため−
 でございましょう。

 しかし、それにいたしましても、もし、このお三方を、幾分でも、疑いの目をもって見るといたしますれば、その当時舞台の上で、演奏されていた、唄の方々、三味線を弾いていられた方々、そして、所作の舞台にいられた、役者の方々も同じように、お疑い申さねばなりますまい−いや、その上に、あの時、河原崎座の中にいられた、千にも近い、見物衆をも、同じほどに、お疑いいたさねはなりますまい。
 あの殺人は、間口十五間の檜舞台の真中に伏せられた、造りものの鐘の中で行われたので御座います。その、造りものの鐘の外部にさえ、手を触れた方は、誰人もないのでございます。幕のあいた最初から、殺人の発見まで、
(い)の新次師匠は十二三間も、
(ろ)の新三郎さまは四五間も、
(は)の名見崎東三郎さまは、後見でございますから、比較的接近していられましたものの、一間あまりは、最後に、鐘が上りますまで、ずっと、離れていらっしたのでございます。そういたしますれば、いまも、申しましたように−このお三方に嫌疑がかかるとすれは−あの造りものの鐘から、着くは、五六間、遠くて、十間から二十間も離れずに、この絢爛たる踊りの舞台をご見物になっていた、観客の方々にも、同じ程度の嫌疑を、おかけするのが当然でございましょう。しかし、それにいたしましても、衆人環視の、歌舞伎の舞台で、それも、造りものの鐘の中で、姿なき者の手によって遂行されて殺人現場に残された物的証拠は、象牙の撥、ただの 一本。と、かように申しますれば、この事件が、いまだ、はっきりと解決されずに残されているのも、故あることとお考えになるでございましょう。

拾伍

 その筋の方々も、この事件には、すっかり、お困りになったご様子でございました。一座の方々、長唄、鳴物、囃子のご連中から、道具方の皆様がたまで、ひと通りのお取調べがあったようでございまして、そのはてには、楽屋の入口で、下足番のような仕事をいたしております親爺の方にまで、色々なお尋ねがあったそうでございまして、次に記しますのがその陳述であったのだそうでございます。

×

「あの、河原崎座の小屋は、御存じの通り猿若町の表通りにございまして、裏は細い通りになっております。−つまり、猿若町の裏通りと、夜ともなれば絃歌さんざめく囃子町の裏通りとが、背を合している、人通りも、あまりない程な、細い裏道なのでございます。この裏筋に面した側には、小屋の出入ロが二つあるのでございまして、ひとつはお客さま用の非常口−しかし、これは、いつも、かたく閉されております。も一つの方が、楽屋への入口でございまして、このはいり口に、冬の寒い日であれば、火鉢におこした炭火で、また火をいたしながら、私が番をいたしているのでございます。…それは、一座の入れかわりました初日なぞ、はたして、この方が、こん度、お芝居をなされる役者の方であろうか−お囃子のご連中であろうか−と、首を傾げるようなことがございます。しかし、そこは、永年、こうした、入ロの番人でお給金をいただいている私でございます。たとえ名の知れない田舎廻りの一座が、小屋にかかりました時でも、入口に現れたお方を見れば、この方は役者の方だ、お囃子方だ−それも、役者のかたであれば二枚目、三枚目、といったことまで、一と目で分るほどでございます。こうした訳でございますから、私が、あすこに頑張っておりました以上、一座の方以外には、誰も、小屋の中、または楽屋の中へはいられた方は、決して、ある筈がございません。これは、私の白髪首にかけましても、きっぱりと、申し上げることが出来るのでございます。あすこから、お這入りになりました方々の順序まで、私ほよく憶えております。それ以外には、ほんに、猫の子一匹も通りませぬ。

 あの入口をはいりますと、ちょうど、舞台の裏になるのでございまして、私のいるそばに、すぐと、二階へ通じる階段がございます。この梯子段を昇り切ると、ずっと、廊下になっておりまして、その両側に楽屋部屋が並んでいるのでございます。片側は小屋の表の方向にございますが、廊下をへだてた、その反対がわは、裏手にそっておりまして、窓からは、いまも申しました裏通りを見下すようになっているのでございます。この方の側に、杵屋新次師匠と、一のお弟子さまの新三郎さまのお部屋が並んでいたのでございます。それがために、楽屋ロから、はいった者が無くとも、この方々のお部屋の窓から、誰か忍び入ったのではあるまいか、とお上の方方も、お考えになったのでございますが、もし、そうとすれば、梯子のようなものでも、使用いたしませねば、絶対に不可能でございますし、そうした物を使わずに、窓のそばに近よることが出来たといたしましても、杵屋新三郎さまが陳述の節に申されましたように、窓には、鉄の棒がはめてありますので、とても、頭さえも、はいらないのでございます。
 こんな事情でございますので、もし、誰かが、あの撥を新三郎さまのお部屋から持ち出したとすれば、それは、一座に関係のある、内部の方に相違ございませぬ−決して、外から這入ったものの仕業ではございませぬ。しかし、それにいたしましても、造りものの鐘で、すっぽりと、覆われている、岩井半四郎さまを、どうして傷つけたのでございましょう。楽屋番の、この親爺には、たとえ切支丹伴天連の法をわきまえている毛唐人にも、出来そうな事には思えませぬ」

拾陸

 「恋の手習いつい見習いて、誰に見せよとて、紅鉄漿つけよぞ
 …道成寺の唄の文句の中でも、いちばん人に知られたところでございましょう。−誰に見せよとて、いえ、誰にも喜んでいただきましょうとて、私があの殺人事件の研究を初めましたものでございましょう。ロさがない、私どもの連中さまたちが、私に向ってさえ、はっきりと申されましたように、この私がお師匠さまをお慕いいたしていたからでございましょうか。いえ、さようではございませぬ。しかし、そうとは申しますものの、あの唯一の物的証拠象牙の撥のもち主、お師匠さまを、あらぬ嫌疑からお救い申すこともできれば、と考えたことが原因していたのはいうまでもないことでございましょう。
 警察の方々は、最初から、あの事件を、巧妙に計画された殺人事件−というようにお考えなされていたようでございます。しかし、殺人事件とも考え得るような、人の死に出会いました場合、次のような(あり得べき情況)のいくつかを考えて見る必要がございますまいか。つまり−
(一)被害者の自己殺人。自殺ではございますものの、時として、殺人を装うたもめがございましょう。岩井半四郎の場合でございますれば、誰かに殺害された風を装うた、自己殺人かも知れないでございましょう。
(二)自然的な理由による死。造りものの鐘の内部をささえている木片が、はずれた。それが岩井半四郎の前額部に致命的な傷をあたえたというような結果の死。
(三)人為的な過失による致死。白拍子に扮した岩井半四郎が、造りものの鐘の中へはいり切らぬうちに、道具方が、鐘を下した。内部の一端が、半四郎の前額部に激突し、被害者を死にいたらしめた−という類。
(四)非計画的な殺人。常日頃から、半四郎に対して、殺意を抱いている。が、何の殺人計画も講じていない。−または、突発的な理由のために、殺意を生じた。殺人の計画もない。しかし、いまが機会だ−兇器は何でもよい。そこら辺りにあるものを取りあげて…と、いう風に決行された殺人。
(五)計画された殺人事件。綿密な計画と、周到な用意で、機械を組み立てるように準備された殺人計画。総ては、整った。今こそ−と、いうように感じられる殺人方法。

 こうした、種々な、殺人事件の場合が考えられるでございましょう。そうすれば、いまも、申しましたように、殺人事件と考えられるような、人の死に出逢いました場合、それが、右の内のどれにあたるであろうか−と、かように考えることも、無駄ではございますまい。概略的な、そして、漠然とした分類のいたしかたではございますものの、これらのうち何れかの範疇に入らぬ殺人事件はございますまい。では、この河原崎座の殺人事件は、このうちの何れに属するものでございましょう。−まず、
(一)の被害者の自己殺人−これにあたりはいたしますまいか。いえ、決して、そうとは考えられないでございましょう。若し、あの撥をわれとわが頭に打ちつけたといたしますれば、あの撥はどうして手に入れたのでございましょう。半四郎は、師匠のいられた楽星附近へは、幕あきの前に近よっていません。そうすれば、あの撥が半四郎の手に渡る筈がないではございませぬか。
 そうすれば、(二)に記しましたような、自然的な理由による死でございましょうか。いえ、そうでも御座いますまい。撥が、上から、ひとりでに、落ちて来たのではあるまいか、という様に考えるといたしましても、それには、撥に羽が生えて、独りでに、楽屋から飛んで来、舞台の上に吊されている鐘の中にはいっていた−と、いうことを肯定せずばならない訳でございましょう。
 では、(三)のような、人為的な過失によるもので御座いましょうか。…造りものの鐘の中にある木か、鎹《かすがい》が類が、頭にあたった−とでも申すのでございますれば、大道具の手落ち故、とも考えられるでございましょうが、何分にも、撥という事が、はっきりと分っている上からは、人為的な過失に原因するとも考えられないでございましょう。
 そうすれば、結局、(四)か、または、(五)の第三者による殺人と断定しなければならないでございましょう。それも、ああした情況のもとに行われた殺人といたしますれば、(五)の計画された殺人事件−綿密な計画と、非常に周到な用意のもとに決行された事件と考えるが当然でございましょう。

拾※[#“さんずい”に“匕”に“木”]

 これで、第三者の手による、計画された殺人事件−と、ほぼ、断定し得る訳でございましょう。そうすれば、次は、誰が殺したのであろうか−即ち、加害者の問題になる順序でございましょう。しかし、当時の情況や、被疑者の陳述を、静かに、考えますれば、あの殺人事件の計画者が、直接に手を下していない−と、考えるべき幾つもの個所があるでございましょう。言葉をかえて、申しますと、
(い)何かの機械の応用、
(ろ)あり得べき迷信的な力の利用、
(は)動物の使用、
 と、いうような、間接の殺人方法が考えられるでございましょう。そうすれば、はたして、
(い)のように、機械の力を応用して、楽屋に残された撥を、造りものの鐘の内部に運び、時間をはかって、中の人物に投げつける−と、いうようなことをしたのでございましょうか。そうしたことが可能でございましょうか。
(ろ)のように、迷信的なカを利用して、あのようなことが出来るでございましょうか。…この何れにも、何となく、不合理に感ぜられるところがございましょう。しかし、
(は)の、動物の使用−と、いうことに考え及びますとき、私は愕然とし、思わず、五体の緊張するを憶えたのでございます。しかし、それは、犯人が動物を使用して、計画した殺人事件、と考えついたからではございませぬ。いつか師匠から承りました、岩井半四郎が、駒下駄を投げつけて殺したという、小猿のことを思い出したからでございます。その時、親猿は悲しげに鳴きさけぴながら、怒りの形相物凄く、半四郎を、きっ、と睨みつけていた、というではございませぬか。−そうすれば、あの親猿が、畜生ながらにも、機会を得て、工《たくら》み、そして、決行した殺人事件ではございますまいか。
 私の、こうした推理は、もちろん、物的な証拠によるものではごぎいませぬ。しかし、この、あまりにも因果的とも考えられる、謎の解決にも、決して、根拠のないことではございませぬ。−あの芝居小屋附近の、さるお茶屋に飼ってあった、年より猿が、殺人事件の当日に逃げたまま、行衝不明になっているのでございます。こうした事実と、あの殺人の情況とを考えあわすとき、私のそうした推察も、決して、夢幻的ではない−と考えられないでございましょうか。ご記憶になりますように、あの芝居小屋の裏手入口には、楽屋番の老人が、見張していたのでございます。そうすれば、外部から侵入したものがあるといたしましても、その犯人は、撥のあった楽屋への、唯一の通路−つまり、小屋の裏道に面した、楽屋の窓の、鉄の格子を通りぬけることが出来るもの−
 撥を手にしたまま、舞台の天井まで昇ることが出来るもの−
 そして、綱をつたって降り、鐘の頂上にある空気ぬきから、内部に入ることができるもの−
 手にした撥を、投げつけることが出来るもの−
 と、かように考えねばならないでございましょう。そうすれば、当時から行衛が分らなくなった猿と、この殺人事件とを結びつけることに、さした不合理もないではございますまいか。それに、この犯人[#「犯人」に傍点]が、子を殺された親猿といたしますれば、色々と、合点のゆく節があるではございませぬか。後見をなさっていた、名見崎東三郎さまの陳述にもございました様に、あの、
 「真如の月を眺め明かさん
 のところで、手にした中啓で金烏帽子を跳ね上げた後に、岩井半四郎が、
「綱に…綱に…」
 と、申されたと、いうでございましょう。これを後見の名見崎さまは、烏帽子を綱にかけよ、との意味に解釈いたされたのでございますが、この時には、撥を手にした猿が、綱を渡って、造りものの鐘に近よっていたのではございますまいか。しかし、姿はすっかり天井からたれ下った、しだれ桜の幕にかくれて、見物席からは見えなかったのでございましょう。それに、役者衆から、鳴物の御連中、舞台裏の方々までこの日本一の踊りを見んものと、総ての日は岩井半四郎の白拍子に注がれていたのでございましょう。引抜きの時にも、半四郎は、手でまるめた糸屑を、後見に渡さず、踊りの手にまぎらせて、天井に向って投げた、と申すではございませんか。それに、
「…何か、ご見物衆のことで、気にいらぬことでもあったのか、口の中で、呟くように、畜生、畜生と云われました」
 と、かようなことも、申していらっしやるではございませんか。その呟き声は、疑いもなく、猿に向って発せられたものでございましょう。−それに、後見の、名見崎東三郎さまの陳述によれば、唄がすすむにつれて、異状に興奮し、物の化につかれた人の譫言のように、網に、網に、と独白された−というではございませぬか。
 じっと、おとなしく、綱にすがっている猿でございますれば、半四郎が手にした糸屑を、踊りながら、投げる必要が、どうしてございましょう。
 その猿は、きっと、怒りの形相ものすごく、じっと、半四郎を睨みつけていたのでございますまいか−無残に、殺された、我がいとし子の小猿の無念を思いながら。

初出誌「探偵春秋」1937年4月号/底本「幻影城」1977年8月号No.33


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